エンターテイメントの力
2020/10/01 未分類
今回ブログを担当させていただくのは、相談員のTです。
ひかりので話が長い男ナンバー1の私が、この場を借りてしゃべり倒したいと思います。
どうぞお付き合いください。
コロナ禍で様々なものが制限され、特に不要不急などと言われる、生きていく上で必ずしも必要としないものと判断されるものが、ありありと削がれていきました。
そしてその中でも特にエンターテイメントを仕事としている方々が、その活躍の場を失っていきました。
私も遊びで人前で歌ったりすることをしていた端くれではありますが、一切そのような場に出向くことは無くなりました。
少しずつ状況は緩和され、スポーツ観戦や観劇、コンサートなどに触れ、以前の生活を取り戻しつつある方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも完全に以前と同じとは言えず、そこにはマスク着用や消毒の徹底、一定の距離を保つなど、制約が共存しています。
この動きはつまり、エンターテイメントが枯渇してしまうと、人々は生きていけないということにならないかと。ちっとも不要(不急は一理ある)ではないんじゃないかと。
そう考えていくと、コロナの混乱期にあった各国、各地方の考え方の違いに、そこに住む人々の文化が反映されていることに気が付きます。
4月にさかのぼりますが、同志社大学大学院教授の浜矩子さんがエッセイでドイツの政策について触れています。ネットの記事ですが拝借しますと、
「ドイツには、約300万人のフリーランサーや個人事業主スタイルで働く人々がいる。最近はやりの言い方でいえば、ギグワーカーたちである。そして、何とその半数近くがアートの世界で働いているのだという。様々なイベントの中止によって、彼らが被った損害は12.5億ユーロに上ると報じられている。その彼らを含むギグワーカー支援のために、ドイツ政府は総額500億ユーロを用意した。
政策を発表するにあたって、モニカ・グリュッタース独文化相は、「クリエイティブな人々のクリエイティブな勇気は危機を克服するために役に立つ。……アーティストは……生命維持に必要なのだ」と言った。」
このことを知ってか知らずか、私たちの北海道でも、ライブハウスなどのエンターテインメント関連事業者に一律で25万円を給付するという、包括的な公的支援としては全国的にも珍しい支援策を打ち出しました。
そして山下達郎さんがラジオで「エッセンシャルワーカー(社会で必要不可欠な仕事をしている人たち)という言葉はやめましょう。」と言っていたのを、たまたま聞いていたのですが、その意味は、誰にとって何が必要不可欠化は決められることではないという内容だったと記憶しています。(音楽業界などが社会にとって必要不可欠ではないと聞こえるからだと思います。)
私達の介護や保育という福祉の仕事は、いわゆるそのエッセンシャルワークに該当するらしいのですが、私個人としてはそういった線引きの、その先に進めないかと考えています。
介護(日常生活上の不自由を補う)、保育(保育を必要とする子供預かる)、また医療(病気の治療)というのがエッセンシャルであれば、
疲れた体や心を癒す、失った自信を取り戻す、ストレスを発散する、といった目的のエンターテイメントとどう違うのかと思います。
どちらも「人生をより豊かにするもの」というジャンルでくくることはできないかと、ずっと考えてきました。
極端な言い方をすれば、介護、保育、医療も「エンターテイメント(人生をより豊かにするもの)」なんです。
みなさんは何をエンターテイメントとして日常を送っていますでしょうか?その場合エンターテイメントとは音楽や映画などの狭い意味ではありません。道端に落ちていたゴミを拾ってあげるのもエンターテイメントとなろうかと思います。
これ以上は、お酒の席でお話したいと思うのですが、最近は飲みにも行けないので、どなたかオンライン飲み会でも、私と飲みながらお話しませんか?とひかりののみんなに聞くと、決まって面倒くさそうな顔をされます。
私ほど飲むと小声で無口になり、いるのかどうかすらわからない人はいないと思うんですけど(今回はとっても短い文章にお付き合いいただきありがとうございました笑)
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