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「正しい」について

  2022/01/26    未分類

世間ではオミクロン株を中心とした、第6波と呼ばれるコロナウィルス感染症の新しい局面を迎えています。

なんて言うんでしたっけ?新たなフェーズ? カタカナにめっぽう弱い私は、ビールとギター以外のカタカナは読めないんです。

そう、そんな生活相談員のTがお送りする、画像一切なしのしゃべくり漫談ブログですが、今回は「正しい」についてのココロです。

 

世の中様々な情報が飛び交っており、それこそコロナウィルス感染症においてはまだわかっていないことが多く、ニュースでの報道はある程度事実を伝えているのだと思いますが、ワイドショーの専門家(のような人)の意見や、ネットではやし立てられる話題などは、いわゆる玉石混交といったところだと思います。

一体何を「正しい」と信じるべきなのでしょうか。

はたして「正しい」とは何なのでしょうか。

つい昨日まで正しかった情報が、突然何かが解明されたことによって、今日からは正しいものではなくなる、という経験をされた方も多いと思います。

実際に世の中の出来事はそれをずっと繰り返しており、もちろん不変の事実と言われる、現世にとっては誰がどう見たって正しいものも、昔は正しくないと思われていたものもありますし、もしかしたら現世の疑いようがない事実が、来世に覆される可能性も否定できません。

またどう考えたって良い結果をもたらさない戦争の始まりも、お互いの「正しい」主張をぶつけ合い、勝つことで「正しさ」を証明し、負けた側は「正しくなかった」と認めざるを得ず、相手の「正しい」に従うしかなくなります。

このように世の中には、たくさんの「正しい」が存在し、それがぶつかり合った時に、たまたま勝った方が「正しい」として歴史に刻まれているだけのことで、最終的に強いものが正しいと思わされてきたという刷り込みでしかありません。

しかしそれでは争いは一向に絶えず、無益な争いも生じてしまいます。

そこで加えるべきもう一つの価値観が「優しい」かどうかです。

これはたまたま以前観た映画のセリフの受け売りですが、争う両者に「どちらも正しいが、優しくはない」というものです。

例えば片側2車線の道路でウインカーを出さずに車線変更を使用としてきた車が真横にあり、「ウインカー出さないなら入れてあげない」と私もたまにやってしまいます。

しかしこれで何が解決するでしょうか。自分の正しさを主張して、誰が得をするのでしょうか?自分の車の前に1台入ったところで、何分到着が遅れるのでしょうか?むしろ「どうぞ」と譲った方が精神的安定を得て、安全な運転になると思いませんか。

私たちの介護の世界に、科学的介護と呼ばれる、根拠に基づいたケアが求められてきています。それ自体、介護の質の向上に十分影響を与えることと思いますので、歓迎されるべきですが、捉え方を間違い、科学的に「正しい」とされるものに絶対的な価値があり、「正しくない」ものが退けられるような動きとなってしまうと、先ほど言った「優しい」が欠けることになってしまいます。

自分の「正しい」と思った意見が受け入れられない時。何が正しいか迷ってしまっている時。

「優しい」が欠けていないかを肝に銘じながら、今の新しいフェーズをユーザーファーストで様々なアジェンダをエビデンスを示しながらコンセンサスを得てフィックスし、スペックを高めて豊かな社会をシェアしていきたいと思います。(「イラッとするカタカナ英語10選」より)

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